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HISTORY & LIVES

歴史と暮らし

小笠原の歴史

小笠原諸島は文禄2年(1593)、信州深志(松本)の城主であった小笠原長時のひ孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
しかし最初の定住者は日本人ではなく、当時欧米からたくさんやってきていた捕鯨船に、水と食料を供給する為に住み着いた、欧米人5人とハワイ人15人でした。
その後、明治9年(1876)に日本が領有宣言をして、国際的にもここが日本領土として認められました。

ここでの農業は、亜熱帯性気候を生かした果樹や冬野菜の栽培、漁業ではカツオ、マグロ漁のほか、捕鯨やサンゴ漁などが行われ、大正後期には人口7,000人を超え小笠原の最盛期を迎えました。

しかし、太平洋戦争を境に、それまでの平和で美しい島の様子が大きく変わります。昭和19年(1944)には、6,886人の島民が本土へ強制疎開させられ、硫黄島では日本軍が玉砕し、日米両国を合わせて28,721人の尊い命が奪われました。

戦後、小笠原は米軍の統治下に置かれ、一部の欧米系島民しか帰島を許されませんでした。全ての島民たちの帰島が許されたのは、それから23年後の昭和43年(1968)6月26日、小笠原諸島が日本に返還された時です。内地での生活基盤が出来上がった人たちも多く、小笠原へ戻ることを諦めざるを得なかった人も少なくありません。
昭和54年(1979)4月に村政が確立され、自然と共生する村をめざして新しい村づくりが始まりました。

魚雷攻撃を受け座礁した濱江丸

聖ジョージ教会

小笠原の人口

平成24年3月現在、小笠原の人口は父島で約2,000人、母島で約500人です。
父島は主に北部の大村地区、清瀬地区、奥村地区に人口が集中しています。母島は元地地区、静沢地区に人口が集中しています。

小笠原のくらし

生活用品や生鮮食料品などは、定期船おがさわら丸で運ばれます。新聞も一週間分まとめて届きます。おがさわら丸入港日の午後の商店はたくさんの買い物客で溢れています。
商店や飲食店、観光業に携わる島民はおがさわら丸の運航に合わせて休日をとっています。

おがさわら丸は年に一度整備のためドックに入ります。一月に行なわれることが多いですが、2週間程おがさわら丸は留守になります。そのため生鮮食料品が不足しますが、買い溜めをして乗り切ったり、本土に長期休暇に行く人も多いです。

小笠原の産業

島では農業・漁業も盛んですが、島の自然を活かしたエコツアーの先進地として、観光業に携わる人も多く生活しています。海のレジャーはもちろん、一度も大陸と繋がったことのない海洋島・小笠原だからこそ見られる固有の植物の数々。
天然記念物に指定されている鳥などの生き物たち。小笠原へお越しの際は是非、海と山の大自然をお楽しみください。

小笠原を知る

世界自然遺産登録

小笠原諸島は平成23年6月に、世界自然遺産に登録されました。
小笠原の自然については「小笠原自然情報センター」のホームページで詳しく紹介しています。